一夜明けると新しい年を迎えることになる。
そして僕は数えで十五歳となり周囲から「成人」とみなされる。
なんでも昔は二十歳になってから、ようやく成人の仲間入りが許されたらしい。二十歳を「はたち」と特別な読み方をするのは、その名残だと聞いたことがある。
しかし、それでは遅いだろう。
僕が子供の頃から働いているうちの農場では、二年くらい前から、父がやっている仕事のほとんどを僕も受け持っている。村の行事でも何でも大抵の役割はこなす。もっとも、その全てではない。ただ、そのことにしても、出来ないのではなく、まだ立場的に許されていないだけだ。
それを考えると、昔は何かの事情で子供を大人にさせたがらなかったのではないかという気もする。
だが、まあそんなことはともかく、この夜が過ぎ去ってしまうと僕はもう大人だ。
拍手が一斉に響く。
朝の光が斜めに差し込んでいて、畳の縫い目までくっきりと浮かび上がらせている。座敷に集まった一族の面々が神棚に向かって頭を下げる。空気が動くのが分かる。そして再度、拍手。
新年を寿ぐ祝詞を、一族を率いる祖父が唱え始める。皆が唱和する。
小柄なはずの祖父の背中がやたらと大きく見える。
やがて祝詞は終わり、僕は、あらかじめ言われていた通り、前に足を踏み出す。そして、祖父の隣りに並んで立つ。
新たな祝詞を祖父が唱え始めた。これは今まで聞いたことがない、いや僕がまだ幼い頃、叔父の成人の儀で聞いてはいるが覚えていない―抑揚と言葉の羅列だ。
ふと僕の名前が呼ばれた。いや違う。言葉の波の中に僕の名前が埋め込まれ、繰り返し唱えられている。僕が成人となったことが、天地の神々に報告されているのだ。冴え返った空気の中、厳粛な気持ちとはこういう状態をいうのだと、僕は思った。
僕が主役から降りた後も、新たな年を迎える儀式は、午前中いっぱい続いた。秋に三歳で死んだ僕の姪のことも、また改めて神々に託された。屋敷の各箇所へのお供えも念入りに行われ、そのそれぞれに定められている祝詞が唱えられた。
荒神様では祖母が導師となり、僕の母を含め女達がその周囲を固める。男達は、台所のすみで遠慮がちに祝詞に唱和する。
やがて、それらも全て終わった。
そして今度はうって変わった寛いだ雰囲気の中、全員で和やかに食事を取り、その後、男達(もちろん大人の男という意味だ)は別室に籠って新たな儀式を始めることになった。
これは正月とは関係なく、毎月の一日と十五日に行われる、子供には見ることさえ許されない儀式だ。
当然、今日より大人の仲間入りをした僕も加わる。
「なんですか、これ」
手渡されたそれは、今まで見たことも聞いたこともないものだった。長さも太さも、小指よりいくらか小型の白い紙の筒。よく見ると、中におがくずのようなものが詰まっている。
「それは、煙草というものだ」と父が僕に教える。「気をつけろよ、毒があるから」
僕はなんとなくその匂いを嗅いでいたのだが、慌てて顔から遠ざけた。皆―大叔父や伯父、叔父、年長の従兄達が笑う。いつも厳しい顔つきをしている祖父も、にやっと笑う。
「大丈夫、大丈夫。そのくらいじゃなんともない」
「だが、口に入れるなよ」
「口に入っても、ふつうはすぐに吐き出すけどな」
皆が口々に言う。僕は顔をしかめる。いくら儀式とはいえ、なぜこんなものを。実際、匂いもよくない。苦い。
「それはな、こうするんじゃ」
祖父が、煙草の端っこを口にくわえ、もう端っこを神棚の灯明に近づけた。
と、薄紫色の煙が立ち昇り、なんともいえない匂いが漂う。
すぐに皆がその後に続く。あっという間に部屋の空気が濁ったような感じになる。
「お前もやってみろ」
「ほら、なんともないから」
ためらう僕に、皆が口々に言う。
それで僕も、その毒物でもあるらしい煙草というものを賞味してみた。そして猛烈にむせ返る。
また、皆が笑う。「けむいか」と聞かれる。「誰でも最初はこうなるんだ」という声も聞こえる。僕は意地になって、さらにその苦い煙を肺一杯に吸い込む。
「おいおい、無理はするなよ。まだ、これもあるから」
げほげほやっている僕の目の前に徳利が突き出される。
「酒」と書かれた文字が涙でにじんでいる。
「旨いぞ、これも。といっても、まだお前にはこの旨さは分からんだろうがな」
また、ばかにされたような気分になる。
「水みたいなもんじゃないですか。色もついてないし」
「呑んでみりゃ分かる。ほれ、……あっ、無理するな」
僕は、生まれて初めて目にする「さけ」というものを、なぜか、負けてたまるかという気持ちで、ごくごくと喉に流し込んだ。
そして、またむせる。
そんな調子で、僕は大人の正式な仲間入りをした。
朝の儀式よりも、こちらの方が「正式」な気がしたのは不思議だった。
次の日の昼過ぎまで僕は寝込んだ。
とはいっても、正月の間はたいした仕事はない。何より大人達は皆、僕がこうなることを見越していたかのように、とがめだてひとつしない。
しかし、なぜあんなものを呑んで吸って、皆、陽気に騒ぐことが出来るのだろう。それに、儀式と聞いていたが、あれはたんに騒々しい集会のようなものだ。
しかし、皆、楽しそうではあった。
そして夜、酒も煙草もこれでおしまいって時になると、皆、名残惜しそうに……まるで、子供が玩具を取り上げられるような顔つきをした。誰かが言った。「また、二週間の辛抱だ」この言葉に、ほぼ全員がうなずいたと思う。
足音がする。
ふすまが開かれ、父がなぜか上機嫌で僕の枕元にあぐらをかいた。
「どうだった、昨日は」
僕は顔をしかめてみせる。父が声を出して笑う。
「ま、あんなもんだ。最初は。そのうちお前も、月に二回のあれが、待ち遠しくてたまらなくなる」
とてもそうは思えない。
顔を赤くして―「酔っている」という状態らしい―、いがらっぽい煙の中で騒ぎあう。僕の朦朧とした頭の中で、人の声ばかりが、がんがんと響く。ほとんど悪夢ではないかとさえ、昨夜は思った。
「これで、お前も大人だなあ」
父が感慨深げに僕の顔を覗き込む。
これはちょっと……、僕は顔をそらせて、水を飲みたいと父に告げた。
次の儀式、一月十五日が来るのが憂鬱だった。
しかし皆の手前、そんな様子は微塵も見せず、僕は煙草と酒に挑んだ。そして沈没した。二月の二回の儀式もそうだった。こんなもので喜ぶ大人は不可解だ。しかし皆、心底嬉しそうなのだ。
おかしい。もしかすると僕には何らかの欠陥があって、年齢こそ重ねても、ちゃんと大人にはなり切れていないのではないか、そんな不安が僕を脅かした。
しかし、ある日「異変」が起きた。
その三月のある日、なんということもなく、ほころびかけた桜の蕾を見ていたとき、無性に煙草が欲しくなった。あれ、と僕は思った。あんな苦くて不味い物を。これは何かの間違いだとさえ思った。実際、煙草への欲求はすぐに消えた。
しかし、その日以来、僕の体はしばしば煙草を欲しがった。
「酒」についても同様だった。何か面白くないことがあったときなど、こんなとき酒が呑めればと、僕は素直にそう思った。
やがて季節は移り、僕は他の大人達と一緒に、月にわずかに二度、酒と煙草を楽しむようになった。
今現在、酒に酔いしれ、煙草の煙にむせながら、僕は思う。
たしかにこれらは旨い。だが、体だけでなく頭にも変調をきたす。毒だというのも、まんざら大袈裟な物言いではない。しかし放っておけば、誰もが、のべつまくなしに煙草を吸い酒を呑むようになるかもしれない。
月に二回だけ、きまった場所に全員集まって楽しむというのは、いつどこで誰が決めたのかは分からないが、賢明な措置だと思う。子供にはその存在さえも教えないというのも、もっともなことだ。
もしかすると、昔、誰でもが、いつでも好きなように酒を呑み、煙草を吸っていた時代もあったかもしれない。いや、まさか。断じてそれは正気の沙汰ではない。
posted by 緑川 at 22:53| 福岡

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